パリの椎隆子3
前回に引き続き今回もパリの椎隆子シリーズです♪
でも、今回はパリというかフランスの椎隆子、のような感じですね
1枚イタリアのもあります ではスタート!!
↑1枚目 アンバリッドです
ここにはあのナポレオンが眠っています 母と二人で行きました
母とはよくあちこち出かけたなあ~ 大好きママンです
その母と
ここはベルサイユのもと?になる城フーケさんのヴォー・ル・ヴィコントです
ルイ14世があまりの豪華さに嫉妬して、フーケさん失脚
ここを作った建築家 ル・ノートルにベルサイユを作らせたという……
しかしそんなドラマのあった城でも私は のほほん~~~としております!
母ばかりだとあれなんで(笑)父も登場
でもなあ~~ 若すぎるよなあ~~!!!!
誰だよこれ、ですわ 若すぎてこんなの父じゃないです(笑)
ちなみに、我が家窓です 1階なので外から撮影
(フランスでは1階はレードショセといいます
2階からプルミエエタージュ(訳すと1階)になります
こちら姉と
だいたんなところで仁王立ちです! 落ちますよ……
このエッフェル塔の前の大噴水は かなりよく行きました
旧パリ日本人学校がこの近くにあり、我が家の庭的な場所です
写真もたくさんあります
日本人学校は昔の日本大使館を利用してましたが、周りの住民から
うるせえええええ~と苦情が相次ぎ(笑)郊外へ移転したそうな
トロカデロ広場がすぐの、便利な立地だったんですけどねえ
旅行シリーズもやりたいですが、このぶーたれた表情が気に入ったので
今回特別に掲載です
ここはフランスではなく、イタリアローマです
夏でくっそ暑く、スイカがうまかった……
場所はフォロロマーノです とにかく暑くて暑くて
こんな表情になりました
このときはローマ、フィレンツェ、スイスを旅行しました
ユングフラウにものぼったし(電車で)、そういえばフィレンツェでは
ドゥオーモにも父と登りました! よく頑張った~
ユングフラウの駅が「ユングフラウヨッホ」と言うんですが
アシスタントにこの話しをしたら
「なんですか、今の呪文みたいなのは!」(笑)と言われました
たしかに、呪文系かもしれない……ユングフラウヨッホ~~~!(笑)
(若く美しい娘に変身する呪文です←そのまま和訳)
ラストに、ただの海辺に見えますがここではすごいことがありました
あの「DーDAY」です ノルマンディー上陸作戦ですね
こんな笑っている場合じゃないんですが、子供なので何もしらんです
(つまり、向こうの海はドーバー海峡)
このときは北フランスを旅行しました
モンサンミッシェルとか、アルセーヌルパンで有名な「奇巌城」の
エトルタとか……
ここでは父に延々ノルマンディー上陸作戦について説明されました
父は歴史好きなので、いつでもどこでも説明大好き男です
しかし夢いっぱいの少女にそんな話しをされてもなあ~
「わあ、きれな貝殻!」てな感じでしょう
今行ったら、花束を海へ投げますけどね
今年で作戦から80周年だそうです
戦争、といえば フランス滞在中にベトナム戦争が終りました
その日はテレビの様子が変?で(おそらく大騒ぎだったんだと思います)
父にどうしたのと聞きましたら「戦争が終ったんだ」と言われ……
サイゴンが陥落した日だったかもしれません
そういえば当時父が購読していたニューズウイークはいつも表紙がミリタリーでした
この雑誌は戦争雑誌なのかな、なんて、子供心に思ったんですが
そのとき、え、戦争って昔の話しじゃないの? まだあったの?
……と思ったものですが、例えばノルマンディー上陸作戦も、この写真が50年まえなら
このときわずか30年前のことなんですよね
そして2024年現在、戦争はなくなるどころ世界中で進行形です
なぜ人は戦うのか?
この間NHKBSでもそんな番組を深夜見たんですが
もともとは同族意識が高い生き物だからみたいな感じです
まあ、動物も縄張り争いするしね
でも人間は知恵があるのだから、もっとかしこくなれないものか……
戦争がないと困る連中もいるから、なくならないのでしょうけど
と、たまにはまともな意見も書いてみました
このときの自分を思い返すと、同じ時、同じ年代のベトナムの子供達は
苦しんでいたんだなと思うと、平和な国にいて恵まれた生活をしていた自分が
運が良かった、と思うべきなのか それとも~
なんて、考えてしまいました
最近は50年ぶりに日本人学校の友人達と再会したうえ
12月には筋目?の60歳になる自分を思い
人生とは…… 人間はなぜ生きるのか? どこへ行きたいのか?
など、いろいろ思うことがあります
ここまで生きてきて、「いい人生だった」と言えるのかなあ
好きで選んだ漫画家という職業、そのとき自分が描きたいものを描くことができて
そういう意味では幸せだったと思いますが
いつも思うのですが、描いているとキャラクターのパワーに元気をもらえるんですよね
母が亡くなった時もそうでした
漫画が描けて良かったなあ~と思いましたし……今も日々思います!
そして、そんな自分のアイデンティティーを育んでくれた
このパリ滞在は、人生の贈り物だったのだと改めて思う椎隆子でした
そういう意味では父に感謝したいですが、そんな父は高齢すぎて(笑)
あんなことやそんなことで、日々ため息ですわ
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